2016大晦日 今年も無事に・・・

2016年も一年何事もなく無事に店を開けられることに感謝。

今年を振り返ってみると。

まずお正月に「ありがとう25000回講座」が

第10回を無事にできたこと。

3月には、次男の貴洋が当社に入社したこと。

6月には、FM群馬にラジオCMを流すようになったこと。

9月には念願の伊勢神宮参りができたこと。

エステのスタッフが退社したり、新しいスタッフが入社したりと

いろいろなことがありました。

私自身のカラダも風邪で体調を崩したこともありましたが、

今年も休むことなく店を営業できたことが一番の喜びです。

来年も漢方と整体のさらなる研鑚をして、

みなさまにお役にたてるよう精進したします。

2016年一年間クスリのウエノをご愛顧いただき、

誠にありがとうございました。

来年は、さらに良い年になるようにしましよう!

良いお年をお迎えください・・・合掌。

ラストレッスン 今年も・・・

今年も昨日の午前の部で健康整体教室も

1年間休むことなく無事に終わりました。

今年は、新しい整体もいくつか取り入れたのと、

下半身の強化するような整体を中心に授業しました。

来年は、生徒さんの心とカラダが少しでも

変化するような整体を考えています。

今年の冬は、例年になくインフルエンザが流行っています。

ここにきて風邪やインフルエンザの漢方相談が激増。

昨日も閉店後に3人。合計22人の相談でした!

その後電話での漢方相談が5件と大忙し。

手洗いうがいはもちろんのこと、漢方をしっかり飲んで、

インフルエンザに負けないようにしてください。

今年のインフルエンザは、強敵ですので、

「持っててよかった漢方シリーズ」をどこに行くにも

必ず持ち歩いてください。

当店は、明日大晦日まで営業いたします。

肩甲骨のしびれ 筋肉の硬直で・・・

40代半ば女性の左肩甲骨のしびれの漢方相談。

他に症状は、ないかと聞いてみる。

(漢方を選ぶ際に関連した症状でわかる場合があるため)

「左足のふくらはぎが凝っている」とのこと。

汗かき体質ではないようなので、血液の滞りと

筋肉の硬直によってのしびれと判断。

「首のこりは?」・・「左首がそういえば凝っている」とのこと。

そういえばというところが面白いところ。

いわれないと気がつかない症状も多々あるもの。

それを聞きだすことができないと漢方相談は、うまくいかないからです。

まず続命湯を飲んでもらい、越婢加朮湯を飲んでもらうこと30分。

左肩甲骨のしびれと首こり、ふくらはぎのコリすべて解決!・・してやったり。

のどの違和感  教科書通りで・・・

30代後半女性の漢方相談。

ある人に「ウエノに行ってみな!」と言われて来たらしい。

紹介で来られる人は、その場で治して当たり前。

治らないときは、なんともいえない気持ちになります。

紹介で来る人の漢方相談は、プレッシャーがかかるわけですが、

それがまたやりがいがあり、楽しくもあります。

症状は、1年ほど前からのどに違和感があるという。

教科書通りだと半夏厚朴湯が有名。

しかし、なかなか半夏厚朴湯で治りきらず、てこずるときもあります。

バックの大きさからみると何をそんなに

持ち運ぶのかというくらいの大きさ。

そのバックの中になんでも入っていそう。

ということは、やはり心配性。

早速半夏厚朴湯を飲んでもらうと「甘くて美味しい!」

そして喉と胸が温かくなり、5分後にはカラダ全体が

温かいという。

「ところでのどの違和感は?」

「あれっ?取れた!」と不思議そう。

なんともあまりにも簡単だったのでよかったような

つまらなかったような・・・

それはともかく治ってメデタシメデタシ。

足裏の痛み 体表面に・・・

40代半ば女性のしみの漢方相談。

しみと言われてもと思い、他の不快症状はと聞いてみると?

一年前から足の裏が痛いという。

「足の裏のどのへん?」

「つちふまず」とのこと。

「足裏の痛みが治れば漢方信じますか?」と聞くと、

「えっ?すぐ治るの?」

「はい、漢方が合えば!」

早速試飲に、最初の質問「アメ耳ではないですか?」と

「なんでわかるの?」「今も耳がへんなの」

そこで桂枝加黄耆湯を飲んでもらうと「おいしい」とひとこと。

10分後、「耳はどう?」・・・「耳が通った!」

ところで「足裏は?」・・・「あれ?痛くない。」

足の裏というと真武湯を良く使いますが、体表面の水分過多の場合、

桂枝加黄耆湯でも治るということが証明。

合った漢方は、様々な症状によく効くということです。

しみに関しては、また後日。

初すべり 雪が少なく・・・

昨日、尾瀬岩鞍スキー場に初すべりに。

天気は、よかったのですが、雪が少なく、

下の方は、一見滑れそうなのですが、クローズ。

帰りは、ゴンドラで降りることに。

ゴンドラで降りるのは、初めてのこと。

4時間ほど滑り、帰りは、温泉に立ち寄ると、

そのそばに神社が。

笠科神社とありました。

あれっ、片品(かたしな)村なのに笠科(かさしな)?

いままで何度も通っていたのに気がつきませんでした。

そこでお参りでき、なんか来年も良い年になりそうです。

帰ってから洗車し、ゴルフの打ちっぱなしへ直行。

クタクタになり、昨晩はよく眠れました。

シーズン初すべりは、翌日筋肉痛があるのですが

今回は、まったくなし。

最近、トレーニングしている成果かもしれません。

今年の冬もカラダが衰えないようにムチを打つつもりです。

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氣をいただく 自然環境に・・・

私たちは、自分の力だけでなく、自然からの氣(エネルギー)を

いただいて生きています。

太陽、空気、大地、植物、動物などの氣をいただいています。

その氣をいただいた食べ物を食べることがまた私たちのカラダに

入り、エネルギーとなっているのです。

そのように考えるとなるべく自然の物をいただくことが大切というのが

理解できると思います。

自分のカラダを自然の中に置くということも大切ということもわかります。

休日には海や山などに行って自然の氣をいただくことが大切。

私たちは、誰に教わることなく、自然の中にことの

「心地よさ」、それが「カラダに与える影響」を本能的に知っています。

日常の機械類から離れ、自然環境に身を置くことが

老いないカラダに不可欠なのです。

元氣な人総括  自然に・・・

元氣な人は、必ずしも健康でなくてもよいのです。

私自身も元氣な人シリーズを書いていて、気がついたことは、

完璧でない部品がなんと多いことか!

しかし、仕事をはじめてから今まで一度も休んだことがありません。

途中、インフルエンザ、鼻炎や腰痛、扁桃腺炎、尿管結石などで

体調不良は、多々ありました。

なんとか漢方を飲んでしのいでいます。

アルコールも飲み過ぎたり、甘いものを食べ過ぎたり、

夜更かししたりと違反ばかりをしています。

どれだけ健康に気をつかわずして元氣でいられるか?

このことを自分で体験してみなさんに

伝えられるかが課題でもあります。

カラダの各部品ひとつひとつが完全な状態でなくても、

仕事ができ、遊びもできればそれだけでもいいのではないでしょうか?

極論からいうと生きているだけでも満足してみては?

最近、歳のせいかそんなことを考えています。

一番大切なことは「生きがい」を持つことではないでしょうか?

私の場合、仕事では「漢方と整体で皆さんにお役にたち喜ばれる」こと。

趣味では、「ゴルフとスキーの上達といつまでできるか?」です。

そのためになるべく自然に逆らわず、自然の物をいただき、

心も常に自然体でいたいと思っています。

健康にこだわるより人生どれだけ楽しめるかではないでしょうか?

人生を楽しめるための健康でありたいものです。

元気な人8 骨 

元気な人は、背骨がゆがんでいません。

また、骨の質が高く、強度と粘りがあり

老いない骨を持っています。

つまり、骨粗鬆症とは無縁の骨質を持っているということ。

では、カルシウムを取ればよいのか?

いくらカルシウムをとっても骨に入らなければ意味がありません。

どうすればよいのか?

カルシウムは、筋肉から骨に入りますので、

筋肉を良く動かすこと、重みをかけることが大切。

立ったり、しゃがんだり、歩いたりすることが最も大切。

とりわけ運動などしなくてもよいのです。

日々の家事や仕事を姿勢正して行うことだけでも十分です。

パソコン、テレビに向き合う姿勢、食べる時の姿勢、

立ち姿勢、座り姿勢、歩き方を正すことから実践しましょう!

元気な人7 筋肉 

元気な人は、筋肉量も減らずカラダが軽い人です。

姿勢を維持する筋肉、歩いたり走ったりすることができる筋肉、

物を持ったり、動かしたりする筋肉など様々な動きができるように

筋肉の質と量を維持することです。

筋肉量があり、質もよい人は、低体温とは無関係で温かいカラダです。

カラダが温かい人は、心も温かい人です。

カラダが冷えている人で心が健全で温かい人は、いません。

年齢とともに衰えていく筋肉をいかに衰えないようにするかが大切です。

そのために正しくカラダ、特に関節を正しく動かすことです。

歳をとればとるほど努力が必要です。

楽してやせる、楽して健康などということは決してありません。

楽して元気にはなれないということを忘れずに!

「楽しないことが楽しみ」と考えられるようになりたいものです。