幼いころの私は、内弁慶で泣き虫でした。
親戚が集まるところにいくと母親の後ろに隠れておとなしい子供でした。
そんな内弁慶で泣き虫な私を父は、もどかしく何とかしたいと思ったことでしょう!
個人病院のおじいさん先生のアドバイス通り
ぜんそく治療のためスキーをすることに。
当時は、スキーをする人はいなかったので、私の父も初心者。
いきなりリフトに乗り、親子共々雪だるまになって降りてきたのです。
当時のスキーウエアは、上は、ヤッケと呼ばれるもので、薄っぺらい生地で
ズボンはタイツに少し厚みを持たせたような粗末なモノでした。
スキー靴は、革製の紐、ストックは竹製、スキーのビンディングは、
ワンタッチではなく、スキー靴のかかとにワイヤーをひっかけ、
前にペタンと倒して固定しました。
父も初心者で自分が滑るので精一杯で私に滑り方を教えるどころではなく、
滑り方もわからず、転んでばかりだったので、ウエアは、びっちょり。
とても寒くて鼻水と涙は、凍ってしまい私はスキーが大嫌いで日曜日になると
スキーに行きたくないので腹が痛い!と仮病までつかいました。
しかし、父は厳しくそんなことで許してはくれません。
引きづり起こされ、毎週連れていかれたので、
日曜日が来るのが恐ろしかったのです。
ぜんそく発作がある日でさえも「スキー場に行けば治る!」と。
私は、そんなことはないだろう?!なんて親だ!と鬼か!とも思ったものです。
しかし、雪国に行くとぜんそくが楽になったのは不思議でした!・・・つづく